サン=テグジュペリと飛行機の時代(Ⅰ)

「星の王子さま」作者、サン=テグジュペリの人生は、
皆さんご存知のように、作家であることとパイロットとしての人生を切り離すことはできません。



しかし、サン=テグジュペリの生きた時代は、まさに ”飛行機の時代” でした。

サン=テグジュペリ自身が、何度も飛行機事故で大怪我を負っているように、
この時代の「飛行機」は、まだまだ「死と隣り合わせの危険な乗り物」でしたが、
それでも、未知なる可能性を秘めたフロンティアの世界でした。

しかし、生まれたばかりの飛行機は、時代を巻き込みながら、想像もつかなかった次元に進化していきます。

まずは、 ”飛行機の開拓時代” という背景を通して、サン=テグジュペリの生涯を追いかけてみたいと思います。

サン=テグジュペリ

サン=テグジュペリは、1900年、フランスで貴族の子供として生まれます。
下の写真は、彼の幼少の頃に日々を過ごした、サン・モーリス城です。

By © Benoît Prieur / Wikimedia Commons, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34207339


その3年後、ライト兄弟が世界初の有人動力飛行を達成。
ここから、本格的な飛行機への道が開かれます。まさに彼は、「飛行機の幕開けの時代」に生を受けたのでした。
(写真は、ライトフライヤー号とライト兄弟)

ライトフライヤー号とライト兄弟
ライトフライヤー号とライト兄弟

自由に大空を飛び回るという夢は、多くの人々を熱狂させ、飛行機の開発競争が始まります。


そして、12歳の時、サンテグジュペリ少年は忘れることのできない体験をします。
自宅の城の近くにできた飛行場で、彼は飛行機に乗せてもらい、初めて空を体験するのです!
(この時、「母親の許しを貰った」とパイロットに嘘をついて乗せてもらったそうです)

横山氏の伝記「サン=テグジュペリ」によれば、
「…あまりの感激に、サン=テグジュペリは、飛行場で彼をパイロットに紹介してくれた村の少年ティボーにまで恩義を感じ、彼を自宅に招き、台所でお菓子をご馳走…」します。
そして、ティボーの回想によると「…しばらくは初飛行を思い出すたびに、嬉しさが込み上げて、飛び跳ねて喜んでいた…」そうです。

サンテグジュペリ(10~11歳の頃、聖十字学園に通っていた頃)

  複葉機は、空のロマン

さて、この時代は、まだ複葉機が主流で、単葉機が本格的に登場するのは、もう少し後になります。
「…複葉機? …単葉機?」とピンとこない方は、宮崎駿監督の「紅の豚」を思い出してください。
あそこには複葉機(2枚の翼の飛行機)がたくさん出てきます。




ライト兄弟によって、人力飛行機から、動力(エンジン)飛行機への道が開かれますが、
まだまだこの時代のエンジンは威力が低かったため、
揚力(翼の形状で、風を受けて浮く力)を得るために、翼の数を増やしました。
当時の多翼機の写真を幾つか用意しましたので、ご覧ください。今から見ると、ビックリするような形態の飛行機があります。


 
けれども最終的には、2枚の複葉機に落ちついていきます。


ちなみに4枚目の写真は、1932年にカリフォルニア州の農場に不時着した複葉機の写真ですが、写っているのは、どうやらこの農場の家族のようです。
飛行機を前に記念写真を撮っている姿はなんとも微笑ましいですね。


ところが、のちにエンジンの性能が良くなってくると、
こういった「複数の翼」は逆に、風の抵抗を受けるようになってしまい、飛行能力を妨げるようになります。
そんな訳で、複葉機は姿を消していってしまうのです。

さて、複葉機が姿を消していく中で、失われていったものはまだあります。
エンジン能力の向上によって、操縦席は、開放型から密閉型へ変わります。
それまでの複葉機のように、風を感じながら空を飛ぶことが出来なくなります。


さらに飛行機は、2度の大戦の中で軍事的な戦力が認められ、各国がこぞって開発競争に向かっていくのです。

軍事利用に向かう飛行機開発

第一次世界大戦では、飛行機は最初、主に偵察機として使用されました。


「…この頃は、パイロットは軍人と言うよりは飛行家で、敵同士が上空で遭遇しても、お互いの無事を込めて、手を振って別れていた様です。

その後、敵の偵察を妨害する為に、拳銃やライフルで銃撃し合う様になり、…又、偵察機が敵地上空を飛行する際に、煉瓦やブロックを投下、次第に手榴弾やダイナマイトを投下するようになり(以上、https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14249315719より引用)」

やがて、専門の戦闘機や爆撃機が開発、戦闘に使われ始めます。

そして第2次大戦においては、飛行機は完全に戦闘の主役となりました。

ドイツ軍によるロンドン空襲(1941年)
B-17(1万機以上制作された第二次大戦初期のアメリカの主力爆撃機)
ドーリットル空襲、1942年4月

飛行機王アルベルト・サントス=デュモンの悲劇

「飛行機の時代」について語る時、もう一人紹介したい人物がいます。
ブラジル生まれのフランス人で、のちに「飛行機の父」「飛行機王」とも呼ばれた、アルベルト・サントス=デュモンです。
彼の人生は本当に面白いので、いずれ改めて詳しく記事を書きたいと思いますが、ここでは簡単に紹介をしておきましょう。

アメリカでライト兄弟が飛行機を開発していたのと同時期に、ヨーロッパで飛行機開発に携わり、ライト兄弟に3年遅れて、飛行機の初フライトを成功させました。
また、彼は飛行船の開発や飛行記録への挑戦なども果敢に行ったほか、未完に終わったヘリコプターの開発も行っています。

しかし、36歳で多発性硬化症という難病を患い、引退。その後、パリ郊外に家を買って隠遁生活をしますが、
第一次世界大戦が勃発し、飛行機や飛行船が兵器として使用された事実に失望し、ヨーロッパを去り生国ブラジルに帰ります。

ところが、平和の国と信じて帰ったブラジルでもその飛行機が内戦鎮圧に使用されました。
デュモンは著名人の署名を集め、飛行機を戦争に使用しない提言を行いますが、当時の大統領や国会はこれを黙殺。
デュモンはこれに絶望し、この後サンパウロ州グアルジャのホテルでネクタイで首を吊って自殺しました。

飛行機の開発が、誕生してすぐに軍事利用へ向けられていった時代を象徴する、悲劇的な事件でした。

この時代、飛行機に魅せられた多くのパイロットや開発者たちは、自身の中に矛盾を抱えながら、世界大戦という時代の流れに急激に巻き込まれて行きます。
次回は、サンテグジュペリのパイロットしての活動を、彼の作品を通して見ていきたいと思います。

オマケ:複葉機WACOの搭乗体験を書いたブログがおススメです

以下は、今回、偶然に見つけたブログですが、
現代の日本で唯一、空を飛んでいる複葉機WACOに乗って、
その搭乗体験を書いたブログが出ていました。

後ほど、この方のブログのURLを貼り付けておくので、
興味のある方はぜひ、ご覧ください。

『人が「いいかげん」に空を飛んでいた時代』という表現が面白かったです。
   ↓↓
「…たとえば燃料計は、タンクの下に飛び出した透明な筒に浮きが見えたら
『あと40分くらいで燃料が無くなるから降りろ』という意味になる、
といったような大雑把なものであったり、…」
(同ブログより)

う~ん、まさに、「紅の豚」の世界ですね!

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▼良かったらご覧ください。貴重な体験レポートです。
『複葉機があのカタチのワケ 日本唯一、飛行可能な戦間期モデルの乗り心地は…?』
(2017.11.11 関 賢太郎/航空軍事評論家)
https://trafficnews.jp/post/79005

公演の詳細は、ホームページから!
https://www.tokyo-novyi.com/

▼公演の予約は、こちらから
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=66125&

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