ロシアにおける『白痴』と『古事記』
<以下は、2016年の海外公演に同行していただいた鎌田先生が、同年10月1日付けで徳島新聞に寄稿された原稿です。>
ロシアという国の大地と光に、一種のノスタルジアを感じてきた。高校生の頃にロシア小説を読み耽ったことがあるからだ。
中学三年の時にパール・バックの『大地』に出会い、その後ロシアの長編小説を読み漁った。ショーロホフの『静かなるドン』からトルストイやドストエフスキーへ。それらのロシア小説の中に大きく深い大地性とその大地自然に対する畏怖畏敬と親愛の深い感情を感じとってきた。
『白痴』上演
この9月21日、ロシアのウラジーミル国際演劇祭で、ロシア人演出家のアニシモフと東京ノーヴィ・レパートリーシアターの俳優たちによる『白痴』が招待上演された。彼らは、もっとも弱いがもっとも美しいドン・キホーテのようなムイシュキン像を浮かび上がらせた。儚く弱々しいが無垢で純真な魂を持つムイシュキン公爵。その美しい無力極まりないが美しい人間・ムイシュキンを複式夢幻能のようにアニシモフは演出した。
能のようなドストエフスキー原作の「白痴」。ミステリー(推理劇)とミステリアス(神秘劇)が溶け合ったような演劇だった。荒魂のロゴージンと和魂のムイシュキンは、無垢と残虐の権化で、まるで『古事記』のスサノヲノミコトのようであった。
そこに荒魂のナスターシャと和魂のアグラーヤが絡み合い、結局誰もが幸福になれず、悲劇と悲惨の極みに落ち込んでいくのだが、その舞台には美と幽玄が宿ったようだった。





『古事記』上演
続いて23日に、モスクワの音楽会館演劇ホールで私が口語訳した『超訳古事記』(ミシマ社、2009年)を原作にした劇が上演された。私はこれまで『古事記』を生命讃歌と死生観の探究の書、あるいはスピリチュアルケアやグリーフケアを含んだ鎮魂の書と読ん
できた。本居宣長以来、一般に『古事記』はもっとも日本的な文化特性を表現した日本特殊の典型のように捉えられてきた。だがそこで語られている生と死と再生のテーマはきわめて普遍的な死生学的探究と表現なのである。
ホールでは500人の会場が満席。アニシモフは日本最古の古典を字幕も使用せずに上演させた。ただし観客に配ったロシア語パンフレットにはあらすじを記載し、場面の切り替わりのところでは詩を朗読するようにロシア語でシーンの意味を観客に伝えた。
最初ロシア人観客は戸惑っていた。まったく馴染みのない『古事記』の歌物語が延々と歌われるだけだったから。しかも神々を演じる俳優たちは能役者のようにほとんど動かず、表情も常に笑い顔のみ。だが2幕に入るや事態は一変する。
1幕の神々の誕生の次に死のテーマが奏でられたからだ。2幕はイザナギが黄泉の国に赴くシーンから始まる。死の深みにダイビングした時、神々の誕生の物語はびから悲しみへ、生命讃歌から鎮魂歌へと劇的に転換する。ロシア人観客はここで一気に『古事記』の世界に入り込んだ。そして舞台と客席が一つのエネルギー体となって共に神聖な儀式を創造したようになったという。『超訳古事記』の言葉の意味はまったくわからなくとも、その「こころ」と思いがびんびん伝わってくる。まさに神話劇か神秘劇の体験であった。終演後、「ブラボー!」の声とスタンディングオベーションの拍手喝采が起こった。
ロシア人観客たちは、
「言葉では伝えられない人類共通の叡智を体験し、非常に高度な精神世界に導かれ、自然、宇宙、神をこれほど感じることができる舞台作品は過去にはなかった」、
「俳優がその世界を創り出すのに全身全霊を捧げ、芸術に奉仕している演劇集団もいまやどこにもないが、ここでは言葉の壁を完全に超越した人類共通の世界が描かれていた」と称えた。
そしてぜひまたモスクワで再演し、ロシア中で公演してほしいと言ってくれたという。
『古事記』の生と死の叙事詩の生命讃歌がロシアの大地に伝わったと私は感じた。ドストエフスキーの『白痴』が日本人の心深く届くように、『古事記』もまたロシア人の心深く届く。私は高校生の頃に夢想したロシアの大地と日本の大地が再び太古のユーラシアのように地続きになるような感覚を味わい、未来への希望を抱いた。
この本は、『古事記』の上巻の神話、すなわち〝神物語り〟の部分だけを口語に訳したものですが、その訳は、原文に沿った逐語訳ではありません。つまり、『古事記』原文に基づいてそれをできるだけ忠実に訳した、というような種類の訳本ではありません。
二〇〇九年七月三十一日、さいたま市大宮のわが家の一階の畳の部屋で、そして、その翌日の八月一日、東京の自由が丘のミシマ社の二階の畳の部屋で、横になって目をつぶり、参考文献も何ももたず、ただひたすら、記憶とイメージを頼りに、心の中に浮かんでくる言葉の浮き出るままに語り、それをミシマ社の三島邦弘さんに録音してもらいました。
(中略 )
このようなできあがり方ではありますが、そもそも『古事記』という本がそういうできあがり方をもっていると思われます。つまり、稗田阿礼(ひえだのあれ)が「誦習(よみならい)」した言葉を語り、太安万侶(おおのやすまろ)がそれを漢字ばかりの文字に起こして書き著した文書が『古事記』だと序文に記されているのですから。
(中略 )
ともかくも、それが、我が国最初の本とされるものです。それは本来、語り物で合って、文字ではありませんでした。わたしはだから、文字ではなく語り物であるという、その語り物のありようを、最大限に尊重する形で「超訳」したのです。
(「超訳 古事記」あとがきより)
